おわら風の盆 前夜祭
2009年8月23日、縁があってようやく八尾へ訪れることができた。その日の夜の前夜祭は東町。 前夜祭が始まるまで、友人たちと八尾の町を散策した。 懐かしい駄菓子屋や和紙屋、和菓子屋(八尾の銘菓玉天を買う)、お土産屋等々、いろいろ興味のある店があって、あっという間に時間が過ぎていった。
夕食は八尾の手打ち蕎麦を食べた。 ちなみに、私は蕎麦が好きなので、それ以来必ず八尾を訪れる時は蕎麦を食べることにしている。 諏訪町では町内の空き地で踊りを練習している若者を見かけたりした。








(雪洞がともり始める頃) (夕暮れどき) (芙蓉の花)


(諏訪町の夜景)
生まれて初めて訪れた2009年(8月23日)に、諏訪町の坂の、まるで一枚の絵のような風景にすっかり魅せられてしまった。 その夜は残暑の蒸し暑さはなく、初秋の雰囲気が漂っていて、涼しい風が吹き渡り空気が澄みきっていた。
そして、八尾の町は、「その風景」と「人が奏でる調べ」と「舞」が溶け合って、独特な情緒を醸し出していく…。 いったん、その世界に惹かれてしまうと、ひどく人混みが苦手な私でもまた行きたくなってしまう…。
2012年もまたタイミングよく三日月が現れてくれた。 この夜はとても蒸し暑かった。
※左上の写真は自主CDジャッケトの一枚にもなっている。自主CDの中にも「二百十日の月夜」
という曲名で初めて訪れた時の印象を唄っている。


(どこからかカミキリ虫が飛んできた) (夜の帳が下りる諏訪町の坂)



(諏訪町の前夜祭)


日もとっぷり暮れ、来た道をまた帰る。対岸から見るライトアップされた町もまた幻想的に映える。
前夜祭 東町 2014年8月28日


(禅寺橋) (2013年に出来た展望台より)
2013年と2014年は東町の前夜祭へ。
何故か東町の前夜祭に縁があるようだ。 2014年の前夜祭は天候が不順でそんな中でも、なんとか晴れたのが東町の日だった。
私は、生まれも育ちも富山市だが、40代まで夏の終わりの小さな町に大勢の観光客が集まる風の盆に行きたいと思ったことはなかった。 それが50代になると日本人固有のDNAが沸々と奥底から湧き出てくるのだろうか…、何故か行きたくなってきたのだ。 不思議なものだ…。
2010年の秋に八尾曳山展示館に寄った。 館内に八尾の歴史を紹介するコーナーがあった。
昔、富山藩の頃、八尾では養蚕が盛んだったのだが、それが富山藩の財政を支えていたとか…。
八尾町が富山市と合併した現在もなお、観光力として越中の伝統文化の一つとして、富山市を支えていることは間違いない。


(八尾ふらっと館にて)





(新しく出来た展望台からの夜景)
八尾散策
2009年の前夜祭をきっかけに、こじんまりとした、そしてどこか不思議な造りのこの町に魅力を感じ、秋や春にも毎年足を運ぶようになった。
(八尾の町) (井田川)
井田川は、どことなく風情があり、懐かしささえ感じる川だ。 きっと八尾の町には、なくてはならない風景の一つ、大切な故郷の川、そんな気がする。
(井田川の風景)
2009年の秋は電車で、2010年の秋は、八尾駅に車を停めて徒歩で町まで行った。 途中、男女の踊り手の石像が置いてある石材屋があったりする
駅から往復歩いて行くのは少し疲れたので、次からは、「町民ひろば」の駐車場に車を停めて、ゆっくりと風景を眺めながら禅寺橋を渡り、坂道を上り、町中へと辿ることにした。
【八尾駅から町中までの道のりの途中にて】
(石材屋の前にて) (紅葉の樹の傍に駐車場がある) (禅寺橋を渡ると坂道になる)
(石を積み重ねてつくられた法面) (もうすぐ西町へ) (東新町辺りの古い建物)
(民家の引き戸) (駄菓子屋) (石碑には「日本の道百選 町道
諏訪町本通り線」とある)
【諏訪町の風景】
(上り坂) (下り坂) (畳干しの最中)
【城ヶ山公園】
(春の城ヶ山公園) (初秋の城ヶ山公園) (郷土の力士 琴ヶ梅の石碑)
城ヶ山に登ると八尾の町を一望でき、富山湾の方まで見渡すことが出来る。
最近は秋に「熊に注意!」という看板が立っていたりするので、行きたいのだが用心して行っていない。
「幽玄の舞」
おわらのパステル画は、2点描いている。 額のガラス越しからカメラで撮ったので、光や本人の姿が反射していることをご容赦ください。