トワイライトエクスプレス 2014

このエントリーをはてなブックマークに追加

 トワイライトエクスプレス(往路)、富山駅~札幌、小樽~札幌~函館
          2014年11月30日(日)~12月3日(水)

 平成15年発行の「別冊一個人という雑誌の冒頭に「個室寝台列車の旅」の特集が組まれていて、私はその雑誌を購入して以来、富山からも乗車できるトワイライトエクスプレスに憧れるようになった。 けれど憧れを持ちつつも月日は流れ、来年(2015年)3月に運行終了になるというニュースが流れ、内心慌てふためいた。 それこそ一個人として出来るならこの列車に行きも帰りも乗りたいと思ったのだが、時遅しで値段もそんなに安くはないツアーを探すことになった。

 結局はJTBのツアーに申し込んでみたのだが、それでもキャンセル待ちだった。(3つの旅行会社を調べたが、JTB以外では「1名より参加OK」はなく、値段もJTBが一番安かった)  11/ 29出発 復路トワイライトエクスプレス「B個室シングル」(1名より参加OK)のツアーを希望したのだが無理だと言われ、11/30出発 往路トワイライトエクスプレス「Bコンパート」(1名より参加OK)のツアーに仕方なく申し込んだ。 しかし、これが後に「運命(!?)」の分かれ道になるということを、私はその時、知る由もなかった……。

 キャンセルなどないだろうと期待しないで待っていたのだが、10日後ぐらいに連絡があり参加出来ることになった。


 トワイライトエクスプレス
    <車体の深い緑は日本海を、黄色の帯は夕陽を象徴している。>

  (富山駅 6番線 11月30日 17時46分頃到着。  本当の到着予定時刻は、16時30分だった。)

 「旅は、11月30日(日)午後12時40分、ツアーの添乗員の電話から始まっていた……」

 午後4時頃に自宅を出発しようと思っていたので、家でまだゆっくりしていた昼過ぎ、突然、添乗員から電話がかかってきた。【人身事故があって、新大阪で足止めを食っている…】と言うのだ。
ということは、その時点でもうすでに1時間は遅れていることになる。私は何だか嫌~な予感がした。滅多に起こらないことが起こっているような気がして……。
 予定より1時間遅れているから午後5時頃に家を出れば良いはずだった。 しかし、再び添乗員から電話があって、今度は、【時間を巻き返すかもしれないから、予定の時刻で駅で待ってて下さい…】と言うのだ。 しかたなく私は言われる通りに夫に富山駅北口まで車で送ってもらい午後4時頃、富山駅に着いた。
 結局、JTB貸切の列車は時間を巻き返すどころか、ますます遅れて私は待合室で1時間45分という時間を改札口を出入りする人々や電光掲示板を度々見てつぶす羽目になった。 しかし、私の心は落ち着かず、その間、JRの職員に4回も状況を訊ねていた。「トワイライトエクスプレスはまだですか?」と。
 北口の小さな待合室でコーヒー缶を買って飲み、次に温かいお茶を飲み、そうこうしていたら、地元の奥田小学校の男の子が二人、「ライトレール(路面電車)についてアンケートをお願いします」と話しかけてきた…。 何故こんな時にライトレール沿線の住民ではない私に質問してくるのか理解できなかったのだが、ここはしかたなく質問に答えた。 質問も終わってやれやれと思ったら、二人別々にアンケートをしてきた。 これには、さすがに私も参ってしまった…。
「旅」にハプニングは付きもの、旅はもうすでに添乗員の電話から始まっていたのだ。 そう思わないとやりきれないと、この時は思った。

 後で分かったことだが、JTB貸切のこの列車は実は臨時便だった。 ほとんどの人が始発の大阪駅から乗車していて、私は富山駅での途中乗車の唯一の参加者だった。 今思えば、あの時、JR職員にチョコチョコと到着時刻を確認していなければ、大変なことになっていたかもしれない……。
 4回目(17時35分頃)に確認した時、まだトワイライトエクスプレスの到着時刻は電光掲示板には示されていなかった。 その時、JR職員(女性)が、いつ入って来るのか、ようやく電話で確認してくれて、6番線の回送電車が出たらトワイライトエクスプレスが来るということを教えてくれた。 それを聞いて、すぐさま改札口を抜けて6番線に向かった。 6番線に着くと回送電車が出ていくところだった。 2時間近い待ち時間の出来事など、もう何処かに行ってしまった。
『やっと乗れるんだ……』 胸が高鳴りドキドキしてきた。 数分も経たないうちにやって来た!!
 カメラになんとか収めようと必死で撮ったのが、上の3枚の写真だった。(17時46分頃)





          
                (9号車 Bコンパートの通路にて)

 添乗員が「9号車の6の下段」だと前もって教えてくれていたので、私は9号車が停車する位置でトワイライトエクスプレスを待ち乗車した。 にもかかわらず、要領の得ない若い女性の添乗員はプラットホームのどこかで私の名前を叫んでいたらしい。 自宅への電話といい、待ち合わせの場所の確認といい、何だかこの先、不安が募りそうだったがあまり考えないようにした。
 ずうずうしく、その場で「別冊一個人」の雑誌の浅井愼平氏を真似して通路で早速、添乗員に写真を撮ってもらった。(浅井愼平氏の場合はロイヤル席の2号車の通路だったけどね……)



         
      19時頃 (サロンカーの大きな窓)           (サロンカーにあるスタンド)


 9号車の6(2段ベッド、4名用コンパート)には、スーツケースが置いてあるだけで誰もいなかった。 とにかく荷物を寝台に置いて、夕食を「サロン・デュノール」のラウンジで食べるべく4号車に向かった。 食堂車でのフランス料理(12,300円)は、もう予約を締め切られていたのだが、もともと予約しようとは考えていなかったので、JTBが用意した3,500円の弁当を頼んだ。
 4号車のサロンカーには、もうすでに沢山の人々(ほとんどが年配の人たち)で賑わっていたが、ちょうど進行方向の左側の席が空いていたので、そこで夕飯を食べた(18時過ぎ頃)。 1時間45分も遅れていたので、「トワイライト」という雰囲気を味わうこともなく、もうすでに夜の帳が降りて日本海を見ながらの食事とはいかなかったが、夕食後しばらくはそこで自分なりにくつろいだ…。

 <19時頃、糸魚川駅通過…>
 19時過ぎに9号車に戻ったら、同室の人たち(私の上のベッドは空席)は、もうすでに各々カーテンを締めきっていたので、挨拶をと思っていた私は少し戸惑ってしまった。 けれど、もうすでに寝巻に着替えていた女性の二人組がカーテン越しに顔を覗かせ、一応簡単な挨拶をかわしてくれたのでほっとした。
 『もう寝るのか…、早いな~~』と思ったのだが、仕方ないので私もカーテンをして横になりながら、今の気持ちを書いたり、文庫本を読んだりして寝台列車の「時」を過ごした。 Bコンパートにはイヤホンが付いていないと説明書きにあったので、一応持参した。それが今回とても役に立った。
私が聴いていたのはジャズボーカルのBGMでとても心地が良く、いつの間にかそれを聴きながら午後10時頃には眠りに就いた…。

 東京に住んでいた頃、富山に帰るのに時々、夜行列車「能登」「越前」を利用していた。
固定の椅子席は好きではなく、出来るだけB寝台の切符を購入していた。 寝台に横になると列車の揺れや汽笛の音、それら全てが心地よく、まるでその時だけ「時」が止まったような気がした。
そして、何も考えず列車の揺れに身を任せ、時々目覚めては、再び眠りの世界へと漂うのだった。
一度だけ寝過してしまって次の駅まで行ってしまい、慌てふためいた時もあった。
私は乗り物の中で列車が一番好きだ。 その中でも寝台車が大好きだった。

 
ベッドで書いた言葉を記しておこうと思う…
11月30日 長岡駅20時42分到着。 同室の人たちが19時には就寝しているので、私も寝台に横になりながら「時」を過ごしている。 BGMを聴きながら(イヤホンを持ってきて良かった)、そして列車の揺れるのに身をまかせながら、久しぶりに乗った寝台列車はご機嫌である。 昔、よく乗った寝台列車は3段、トワイライトエクスプレスは2段で幅も少しだけ広い(?)から寝返りができる。これに乗りたいがために、このツアーに参加したのだ。 もうこれが最後になるであろう夜行列車に……。 ゆっくり味わわなければもったいない。




  青函トンネルへ

 12月1日(月)、何故か午前4時にピタッと眼が覚める。
『4号車のサロンカーに行かなくては……』 まるで夢遊病的にサロンカーに行く私であった。
サロンカーには私を含めて3人しかいなかった。サロンカーを通りかかった車掌に「青函トンネルに入るのはいつですか?」と訊ねると、「予定より1時間30分以上遅れているから、まだまだだ」と言われた。
 青森駅、午前4時40分。 蟹田駅、午前5時15分、夜行列車「はまなす」とすれ違う。

 <午前5時40分頃 青函トンネルへ>

   
  (午前5時53分 虚ろな空間へと迷い込む…?)   (午前5時56分 対向車線のレールが反射している)

 2時間近く待っていよいよ青函トンネルへと入った。 本当にここが海面下なのだろうか……。
不思議な感じがした。 私は連絡船でしか北海道へ行ったことがない。 だから、私には新鮮なことだった。


     
          (午前5時55分)                 (午前5時56分)

 両サイドの車窓からは、トンネル内の電灯が素早く通り過ぎて行く。
 早朝6時から食堂車での朝食が何回かに分けて始まる。 午前6時の回の人たちが3号車の食堂車へと立ち去ったので、再び静かになった。(上写真)



     (午前6時07分 サロンカーにて添乗員に撮ってもらう)




 <午前6時18分、北海道の大地へ>
 北海道へ出るともう明るくなっていて、お天気は荒れていた。
 一旦、9号車へ戻り7時30分からの朝食を待つ。


    (朝食は、正直言って私を含め他の人にも少々不評だった…)

 朝食を食べ、歯を磨いてから、9号車へ戻った。 同室の人たちは6時朝食だったので、もう着替えもすませ下段の寝台に座っておしゃべりをしていた。 私はといえば、4時からずっと起きていたので眠くなってきたらしく、カーテンを閉め、まだまだ札幌に着きそうにもないので眠ることにした。 しかし何だか二人の話し声が気になる…。 また持ってきたイヤホンがここでも役に立った。
今度は竹内まりやのBGMで寝入った。 竹内まりやの歌が何度リフレインされたのだろうか、2時間ぐらいは眠っていたらしい。 目覚めてからは同室の人たちと話しながら時間を過ごした。


          <札幌駅到着 12月1日 12時10分頃>

     
         (札幌駅)           (トワイライトエクスプレスのエンブレム)

 振り返ってみれば、もしこの列車が遅れていなかったら、私は青函トンネルへ入ったことも分からずに眠っていたかもしれない。 そして、そのおかげでこんなにゆっくりと寝台列車の旅を味わうことが出来たのだ。 それからまだおまけがある。 結局2時間15分以上の遅れだったらしく、少し特急代も戻ってきたのだ。
 私たちのツアーは、四国にまで雪をもたらした今期一番の強い寒気の真っただ中だったらしく、同じ列車に乗っていた別の行程のツアー客は、12月1日に旭山動物園へ行く予定だったが悪天候のため中止になったらしい。 そして、私の第一希望であった 11/29出発 復路トワイライトエクスプレスのツアーは、私たちが乗ってきたトワイライトエクスプレスを利用するものだったのだが、これも悪天候(強風)のため運休になってしまい、函館空港から再び飛行機に乗って帰ったということだった。
 ページの冒頭で述べたように、もしそのツアーに参加していたなら、トワイライトエクスプレスには乗ることが出来なかったのだ。 それでは何のためのツアーだったのか、意味のない旅になるところだった…。 先のことは、どこへどう転ぶのか本当に分からないものだ……。


 12月1日(雨) 小樽、札幌 


 12月1日はずっと冷たい雨が降っていた。 汽車の遅れで小樽でのフリー時間もだいぶ短縮されたが、約30年ぶりの小樽だった。 もう一度行きたかったところだった。 けれど、今では観光客も多く観光化されていて、風情が失われているような気がした……。

   
          (小樽運河)                   (白い恋人パーク)


 札幌、もいわ山夜景>
 この雨では夜景は見られないと思っていたのだが、時々風が吹いては霧が晴れ、札幌の夜景を見ることが出来た。

    
     (札幌 もいわ山、山頂レストランにて)        (おひとり様同士のU女史と)


     
                              (札幌市街の夜景 レストランにて)

 初めて食べる料理(左上写真)。 パン生地を破ると少々辛いスープカレーが出てきた。
 札幌の夜景は本当に綺麗だった。 何とか見ることが出来て良かったぁ。


 <さっぽろホワイトイルミネーション>

        (テレビ塔)


   
                     (札幌 大通会場)


 12月2日(吹雪) 昭和新山・有珠山、大沼公園、函館ベイエリア

 <昭和新山・有珠山>

 悪天候のため有珠山ロープウェイは中止に。それでも初めて眼前に見る昭和新山に充分満足した。
 子どもの頃、学校の先生が言っていた。 昭和新山は一晩で裏の畑に出来た山なんだと。 私はそれをどこかでずっと信じていた…。 だから、全くこの山の知識はなかった。 バスガイドの話に耳を傾ける。 なんだ全然違うじゃないか……。

 昭和新山は、昭和18年末から20年秋(1943/12/28~1945/9/20活動停止)にかけての約2年にわたる有珠山の火山活動で誕生した山だそうだ。 個人の麦畑に出現した昭和新山を「三松正夫」という人が、山を荒らされてはいけないと思い私財を投じて購入したという。 当時は、戦時下だったのでフィルムが手に入らず、それで三松氏は火山活動の過程を記録するために毎日スケッチをしたという。 その後、1948年のオスロで開催された世界火山会議において、スケッチを基に作成した「新山隆起図」は「ミマツダイヤグラム」と名付けられ専門家から高く評価されたという。 その話を聞きながら、立派な人は普通の人々の中にいるのだと、改めて感じた次第だった……。



 
         (昭和新山)                   (有珠山)

 とにかく寒い! しかし、山が見たい! ほとんどの人が建物の中にいる時、私は外に出て写真を撮った。 始めは吹雪いていたのだが、帰り際に少しだけ晴れ間が出てきた。

 
(昭和新山をバックに バスガイドさんに撮ってもらう)   (車窓から、少し違う角度からの昭和新山)


 <大沼公園>

    (大沼公園にて)

 大沼公園に着いたら、またものすごい吹雪。 大沼でのボート巡りはもちろん中止。
根性で大沼の前で写真だけを撮っておみやげ店に寄って、すぐバスに戻った。
 大沼公園には名物の「だんご」があるとバスガイドさんが言っていたので、それを買って旅館で食べてみた。 『う~ん、なかなか美味しいぞ……』 ひと口というより半口サイズのだんごが沢山入っていてパクパク食べられちゃうのだ。 『弱ったな…。北海道に来てから何だか体重が増えているような気がするぞ……』 餡子としょうゆ味(私的にはみたらし味)の2種類がセットになっているのが嬉しかった。 近所だったら時々買いに行けたのにな…。
 大沼公園は30年前も来たところで、あの時はレンタサイクルで公園を廻ったのを憶えている。



 <函館ベイエリア 金森赤レンガ倉庫>
 悪天候のためロープウェイ函館山夜景観賞は中止になる。 ベイエリアに着いたのは午後5時頃だったか、もう日が暮れていた。 ここも吹雪でとにかく寒かった。 でも、綺麗だったぞぉ~。
 クリスマスツリーは姉妹都市のカナダ(?)の街から届けられた本物のモミの木だそうだ。


 
              (函館ベイエリア クリスマスファンタジー)


      (函館ビアホール)

 とにかく寒いのでレンガ倉庫の中のビアホールでバスガイドさんが何度も言っていた「ホットワイン」を飲む。 30数年前の記憶では商業地でもなく、何もなっかたような気がするのだが、こんなに若者がたくさん集まる場所に変貌していたとは、とにかく驚いた。


 12月3日(晴れ)函館朝市、五稜郭公園、トラピスチヌ修道院 
            (函館空港~中部国際空港  名古屋駅~富山駅)



 昨夜は強風で湯の川温泉の旅館(9階の部屋)が、気持ち悪くなるほど本当に揺れていた。
だから、明日は予定通り飛行機が飛ぶのか、名古屋駅からJRしらさぎ号が発車されるのか、ずっと天候の心配ばかりしていた。 そしたら最終日は、函館は寒いけど快晴で、多少飛行機はゴトゴトと揺れたが、無事予定時刻に到着するし、JRの列車は実際、午前中は強風のため運休もしていたらしいが、これも予定通りの便に乗車出来て、帰りはトラブルもなく、無事、富山に帰って来られた。
 この強い寒気の中、私たちは本当にツイていたのだと思う。


  
   (津軽海峡 銅像は「石川啄木」 車窓にて)     (函館朝市 とにかく外人の観光客が多い)


 五稜郭タワーは、今年、創業50周年だそうだ。 現在のタワーは2006年に作られたもので、また30年前の話で申し訳ないが、私がその時上ったタワーよりも高さが高くなっているとのことだった。
 薄っすら雪をかぶった五稜郭の景色は美しく、どうしようかと迷ったのだが、タワーに上って(オプション)良かったぁ…。


  
        (五稜郭 タワーから)              (五稜郭タワー 公園から)


 最後は、トラピスチヌ修道院へ。 私はまだここへは来たことがなかった。 だから来てみたかったところだった。 バスガイドさんの説明によれば、修道院に入るにはいくつかの条件が必要とのことだった。
 まず、身体的にも精神的にも健康であること。 女子の年齢制限は30歳(女性は30歳ぐらいで性格が定まるからということらしい)。 もうすでに、それだけで私には資格がない……。
私みたいに薄汚れちまった人間は、俗世間でしか生きることができないのかもしれない…。

  
                     (トラピスチヌ修道院)



 <旅の感想…(!?)>
 まず、トラブルが発生して富山駅の待合室で1時間30分も待たされた。 でも、そのおかげで1時間長くトワイライトエクスプレスに滞在(!?)出来た。 小樽の街は昔の印象とかけ離れてはいたが、冷たい雨の中でも吹雪の中でも、私は充分この旅を楽しめた。 ツアー旅行では本当に珍しいくらいに。
 この旅行は、ここ3年ばかり自分を奮い立たせて頑張ってきた自身へのご褒美のつもりだった…。
 何にせよ、良い旅でした…。  誰にともなくお礼の言葉を、「ありがとう……」


最後に話は余談だが、添乗員という仕事はつくづく本当に大変だと思った。
何度も何度も客の人数を確認しなくてはならないし、昭和新山熊牧場のオプションをバスの中で締め切ったにもかかわらず、昭和新山にあるレストランで皆で昼食を食べている時に、突然「参加したい」と言い出す人がいて、この寒い吹雪の中を、再び熊牧場まで行ってチケットを購入しなければならなくなったり、見学が中止になった分や特急券の払い戻し分の現金を調達するために僅かな時間に銀行へ走ったり、その払戻金を飛行機の中で一人一人に手渡したりと、若い頃、旅行が好きなのでそんな仕事にも憧れた時もあったけれど、「う~ん、やっぱり私には無理だったな……」と、ようやく結論づけたのだった……。

 最後まで読んで下さった方へ、どうもありがとうございます。  2014年12月17日(記)